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大阪地方裁判所 昭和47年(ヨ)1208号 判決 1974年11月01日

申請人 藤村正明

被申請人 日本電信電話公社

代理人 陶山博生 外五名

主文

一  被申請人が申請人に対してなした昭和四七年三月二五日付採用内定取消の意思表示はその効力を仮に停止する。

二  被申請人は申請人に対し昭和四七年四月一日以降本案判決確定に至るまで毎月末日限り一ヶ月金三万七、三〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

三  訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  申請人

主文一、二項と同旨。

二  被申請人

本件申請を棄却する。

申請費用は申請人の負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被保全権利

(一) 申請人は昭和四七年三月大阪府立吹田高等学校を卒業したものであるが、同校三学年に在学中であつた昭和四六年九月被申請人(以下公社ともいう。)近畿電気通信局(以下近畿電通局という。)の同校を通じての社員公募に応じ、同年一〇月一七日適性検査、筆記試験、作文の各試験を受けて合格し、同月二〇日面接試験、健康診断を受け、同年一二月一〇日、公社から同月九日付の採用内定通知を受けた。

(二) 右採用内定通知は近畿電通局長名をもつて申請人に対しなされたもので、申請人を見習社員(電信外務職)に採用することに内定したこと、採用予定年月日を昭和四七年四月一日とし、同日辞令を交付したときに見習社員に採用されたものとすること、および(1)公社へ提出した書類の記載内容が事実と相異したとき(2)必要に応じて実施する健康診断の結果に異常があつたとき(3)社会的に好ましくない行為があつたとき(4)その他、公社見習社員として不適当と認められたときの各場合に採用内定を取消すことがあること等を内容としていた。

(三) その後、申請人は、(1)公社から右採用内定通知に同封して送られてきた「貸与被服の号型調査について」なる書面にもとづき、公社の指示どおり所定事項を記入のうえ期限内の昭和四七年一月一〇日頃被服の号型報告表を公社に送付し、(2)昭和四七年元旦には近畿電通局大阪北地区管理部長より入社歓迎を内容とする年賀状を受けとり、(3)同年二月一〇日頃同局局長より懇談会ならびに健康診断実施についての案内の通知を受けたが、同年三月六日の懇談会当日風邪のため、前日事務担当者に電話で欠席の連絡をなし、(4)同月九日付で同局大阪北地区管理部長より送付された「健康診断の受診について」なる書面にもとづき、同月一六日、最寄りの医院で診断を受けて交付された診断書とレントゲン写真を同部庶務課第一人事係長まで持参して提出した。

(四) なお、申請人は、公社の発行した「電々公社職員募集案内」なる書面にもとづいて応募したものであつて、右書面には公社見習社員として採用後の給与として高校卒で基本給一ヶ月三万七、三〇〇円程度と記載されていた。

(五)、(六)(省略)

2  保全の必要性(省略)

二  申請の理由に対する被申請人の答弁(省略)

三  被申請人の主張(省略)

四  被申請人の主張に対する申請人の答弁ならびに反論(省略)

第三疎明関係(省略)

理由

第一見習社員契約の成否について

一  事実関係

1  申請人主張の申請の理由1の(一)、(二)、(四)の事実については当事者間に争いがなく、同(三)の事実については年賀状の趣旨ならびに懇談会欠席の事情を除き当事者間に争いがない。

2  前掲争いのない事実ならびに(証拠省略)によれば、公社の申請人に対する見習社員採用手続は次のとおりであつたことが一応認められる。

即ち、まず公社は昭和四六年九月ごろ「電々公社職員募集案内」にもとづき学校等に呼びかけて公募を行つた。

右案内には採用後の職種と作業内容、身分、給与、勤務時間等が記載され、特に給与については高校卒(一八才)で基本給三万七、三〇〇円程度という記載があつた。右案内にもとづき申請人は学校の推せんをうけて公社就職を志望し、同年一〇月一七日適性検査、筆記試験、同月二〇日面接試験等を受験し、健康診断を受けた。公社はここで右各種試験の成績と健康診断、および身上調査書の結果を総合的に判断して採用内定者を決定し、申請人を含む採用内定者に対し同年一二月九日付で採用内定通知を発送した。右通知の内容は前記のとおりである。また公社は、採用内定者に対し右採用内定通知と同時に「貸与被服の号型調査について」と題する書面を送付し、回答を求めた。右書面は公社入社後の作業内容に応じて従業員の着用する被服の号型調査表である。申請人は公社の指示どおり昭和四七年一月一〇日右調査表を公社に送付した。次に公社は同年三月六日に採用内定者を一堂に集め懇談会を実施し、公社の事業内容や入社後の心得等について説明した。なお申請人は風邪のためこの会には出席しなかつたが、事前に公社側に電話連絡し、その了解を得た。右懇談会出席者については、その席上再度の健康診断が行なわれたが、申請人はそれに欠席したので、公社では同月九日「健康診断の受診について」と題する書面を申請人に送付し、申請人はその趣旨に従つて健康診断を受けて診断書等を公社側に提出した。公社は、その後同年三月二五日申請人に対し前記のとおりの採用内定取消を通告し、以後の採用手続は打ちきつたが、その余の採用内定者については、同年四月一日採用内定者を一堂に集め入社式を行い、その際誓約書、身元保証書および戸籍謄本を提出させ、辞令書を交付した。なお誓約書には「私は昭和  年  月  日日本電信電話公社に採用されましたので、法令その他公社の定める諸規定を守り誠実に職務を遂行することを固く誓います」という記載があり、また辞令書には身分、職務内容、勤務場所、給与等の記載がある。

二  右事実関係についての法律的評価

右の事実関係についての法律的評価に関し、公募を契約申込の誘引とし、受験および当初の健康診断受診をもつて右誘引に対する申込とみることについては、申請人被申請人間において意見の一致するところであるが、その後の公社の採用内定通知の法的性格について両者の見解が分れている。即ち申請人はこれをもつて契約申込に対する公社の承諾の意見表示であつて、この時点において(もしくは被服号型調査表の受理の時点で)見習社員契約が解除条件付始期付で成立したものとみるが、被申請人は採用内定通知後辞令書交付までの一連の行為を公社の承諾行為とみ、辞令書の交付をもつてはじめて見習社員契約が成立したものと解している。

たしかに、使用者が就職希望者に対し一定の選考を行い、一応採用内定を決定しながらその後更に調査を重ねた上で正式な採用決定即ち労働契約の締結をするか、また正式な採用を拒否し、労働契約を締結せずじまいにするなどの裁量権を有することが、終身雇用を原則とするわが国雇用制度において企業不適格者を排除するため使用者の意思表示を慎重ならしめるとともに、応々採用内定者が契約の申込の意思を撤回することから生ずる使用者側の不都合を回避し、また採用内定者の側においても採用内定後正式な採用決定の間就職についての再考の機会を与えることになること、さらに本件申請人のような学校卒業予定者についての早期における人員確保のためにはやむを得ない措置であること等から被申請人主張のようないわゆる「採用内定」の取扱いは理由のないことではないといえる。しかし、一方採用内定者は右のような就職についての再考の機会が与えられる半面、多くの場合には将来正規採用にいたるという確信のもとに以後使用者からの種々の手続要請に応ずる義務を負うとともに就職についての準備を備えているのであり、特に事実上他に就職できないという拘束をもうけるのである。このような採用内定者の地位を法律上どのように評価すべきかについては、当該採用手続でとられた当事者による表示のほか、準拠規定の趣旨や慣行等採用手続の実態にそくし、よろしく使用者と労働者との利益の衡量がはかられなければならない。

これを本件についてみるに、公社の見習社員採用手続は前敍のとおりであるところ、公募が契約申込の誘引であり、申請人の受験がその申込であると解すべきことは疑いを入れないところであるが、その後の公社の採用内定通知について検討するに、これは、前敍のとおり、申請人の各種試験の成績、健康診断の結果および身上調査の結果を基礎にした公社の総合的な判断にもとづく雇用意思の外部的表明であり、一連の採用手続の中で最も慎重かつ高度な判断を要する選択権の行使であるといえる。そしてその後なお再度の健康診断や誓約書、身元保証書等の提出、辞令書の交付という一連の手続行為が必要とされているが、これらの行為は公社の高度な判断にもとづく選択の余地は殆どないといつても過言ではなく、(なお再度の健康診断の結果については採用内定通知書自体に記載されているとおり内定取消事由となりうるが、これは契約の解約事由と解すべきであつて契約の成立とは無関係であることは後述する。)、現に誓約書、身元保証書の提出は辞令書交付の際になされているのが実情であつて、公社自身応募者の人選という面では誓約書等の提出に格別重きをおいていないことが窺われる。

また、(証拠省略)によれば、職員及び準職員採用規程一一条に「職員に採用又は準職員に雇用することが決定した者には……次の書類を提出させなければならない」とされ、誓約書、身元保証書等があげられているのは、前記のような採用手続の実情にてらせば、被申請人の主張するように、ここでいう「決定した者」を「採用内定が決定した者」と解するより、むしろ公社が採用内定ということをほぼ正規採用に準じて取り扱うべきことを定めている趣旨と解するのが相当である。このことは、実質的に考えても、申請人の場合高等学校在学中の生徒であり、学校の斡旋によつて公社就職を希望している者であるから、一つの就職が内定すれば、もはや他の就職は斡旋してもらえないという決定的な拘束を受ける((証拠省略)により窺われる)のであるから、正規採用に対する確信は強固であつて、再考の余地は殆どなく、公社としては先にあげたような安易な承諾から後に申込の撤回に遭い混乱を招くという危惧を感ずる必要は殆どないのである。また、採用内定通知書には、申請人の公社における職種(電信外務職)が記載されており、また(証拠省略)によれば、公社の職員募集案内には採用後の身分、給与、勤務時間、勤務場所等労働契約の内容たるべき基本的部分が記載され、既に申請人においてこれを了知しているのであるから、採用内定通知の発信の段階で、いまだ就業規則の呈示がなく必ずしも労働基準法一五条の労働契約に関する労働条件の明示の要件を満たしていないとしても、それに準ずる要件の充足があるものと解して差支えないであろう。

本来労働契約は諾成契約であるから一定の要式を必要とするのではなく、契約申込に対する承諾にふさわしい意思表示があり、当事者双方の合意があるとみられる場合は、これをもつて労働契約が成立したと解すべきである。そして、本件の場合、たしかに採用内定通知の時点において直ちに申請人が公社の見習社員として就労の義務を負い、賃金請求権を取得するものではなく、その後懇談会出席、誓約書等の提出等の手続を経て採用内定通知後四ヶ月余も経過した昭和四七年四月一日に辞令書の交付を受けてはじめて右の権利義務を取得するわけであるから、この意味においては、辞令書交付という行為は一応重要な手続であるとみられないこともないが、この辞令書交付の重要性ということが必然的に労働契的成立の時点の決定にかかわつてこなければならないものではなく、契約成立の時点とは別に契約の効力発生の時点、または就労開始の時点としてとらえることも契約理論の上からは可能である。そして前敍のような一連の採用手続の中における採用内定通知のもつ意義や採用手続の実態、準拠規定の趣旨および採用内定者としての申請人の権利保護の必要等を総合的に斟酌すれば、まさに採用内定通知の発信をもつて申請人の見習社員契約の申込に対する公社の承諾の意思表示であると解するのが相当である。このように解すれば、申請人と被申請人公社との見習社員契約は右の時点、即ち昭和四六年一二月九日に成立したことになるが、採用内定通知書自体に前記のような内定取消事由が記載されていることから、公社の意思表示はこれらの事由による解約権を留保してなされたものというべきであろう。

また同じく辞令書交付の点も、採用内定通知書に「昭和四七年四月一日に辞令書を交付する」旨の記載があることから公社の承諾は右辞令書交付日を契約の始期とする旨の期限付でなされたものというべきである。そしてこの「始期」を契約の効力発生の始期とみるか、または就労の始期とみるかについてであるが、前敍のとおり公社の承諾の意思表示は解約権が留保せられ、かつこの段階では一応申請人に対する労働条件の呈示がなされているものの、いまだ就業規則の明示もなく労働基準法一五条の趣旨を必ずしも完全には満たしているとはいえないのであることから、公社の意思は、契約の成立に関しては二義を許さないもののその効力発生までも志向するほどの完全なものではなく、契約の効力発生はやはり辞令書交付日に留保されているものとみるのが相当であり、従つて右辞令書交付日は単なる就労の始期ではなく、契約の効力発生の始期というべく、結局本件見習社員契約は、昭和四六年一二月九日に、昭和四七年四月一日を効力発生の始期とし、(1)提出書類への虚偽記入の判明、(2)再度の健康診断による異常の判明、(3)社会的に好まくない行為のあること、(4)その他公社見習社員として不適当と認められることを事由として解約しうることを被申請人側が留保して成立したものと解するのが相当である。

第二見習社員契約の解約(採用内定取消)について

一  解約事由の事実関係

昭和四七年二月二五日開催された吹田高等学校の卒業式において生徒による妨害事件が発生したことは当事者間に争いがない。

(証拠省略)によれば、次の事実を一応認めることができる。

吹田高等学校においては、数年来生徒の間で卒業式のあり方について不満の声があがつており、従来の式は形式的、受身的であるとしてこれを生徒が自主的に参加運営するものに変えていこうという議論がなされていた。

そして昭和四六年二月の卒業式でも一部生徒が式に参列せず自分達だけでいわゆる自主卒業式を行なつたこともあつた。昭和四七年二月に行なわれるべき卒業式についても、生徒会によるアンケート調査やクラス討論等が活発に行なわれていつたが、このような議論は次第に卒業式のあり方のみならず学校側の指導全般に対する生徒の不満の現われにもなつて行き、特に学校長が権威主義的だという非難が強く出され、同年二月に生徒会執行部が実施したアンケートの中でも学校長式辞を除くことに賛成の意見も三年生一〇クラスのうち二クラスで見られた。このようなことから、生徒らの議論の焦点も学校長の生徒会に関する最終決定権問題に移つたりなどして卒業式のあり方の問題については、なかなか建設的な結論段階にいたらず、特に申請人の属していた三年一〇組では、式次第の具体化についての決定をすること自体に反対する意見が多数を占め、さらに申請人ら三学年の生徒は同年一月で授業を終え二月上旬卒業試験が実施され、その後登校する者が少なくなつたため、なおさらであつた。それでも曲りなりにも二月一日、一、二年生を中心とする生徒会執行部により「卒業式に関して学校行事以外の生徒会の式次第については一切を生徒の総意のまま実行する」旨の決議がなされ、学校側も一応これを尊重して「開会の辞、証書授与、学校長式辞、閉会の辞以外は一切生徒にまかせる」旨の方針を決めた。そして、その後更に生徒らによつて具体的な行事について検討がなされたが、結局、申請人ら三年生の意見の集約をみないまま時間切れになつてしまい、学校側は職員会議が示した式次第によつて卒業式を挙行するにいたつた。

そして、卒業式は同年二月二五日同講堂において父兄参列して行なわれたが、開会の辞に続く卒業証書授与の際、卒業生の中には点呼をうけても返事および起立をしない者が四、五〇名おり、続いて学校長式辞に入り、大原健校長が演壇にあがつて式辞を述べようとした際、生徒の中から「ナンセンス」などの野次や喚声があがり申請人を含む約一〇名ほどの生徒が席を立つて演壇の方へ向つて走り寄ろうとし、そのうち申請人を含む五名の者が演壇にかけ上つてマイクを取ろうとしたところ、直ちに教師らに取り押さえられ演壇から引きづりおろされた。この間「卒業式を破壊するな」という生徒らの声もあがり、場内は騒然となつたため、学校側は直ちに閉会の辞を宣し、卒業式は終了した。申請人は教師に取り押さえられた後抵抗もせず自席に戻り、式閉会後は一般生徒と同じように退場した。申請人の右行動の動機は、他の多くの生徒と同じように、吹田高校における生徒の指導に対する不満、特に学校長および一部教師が生徒に対し無理解であり、かつ高圧的態度に出ることが多いと感じられたことに対する根強い不満と、卒業式が高校生活の最後の締めくりとして自分が不満を抱いている学校長の形式的な式辞で総括されることに対する反発の現れであつた。

そして、当日式終了後の職員会議において学校側は演壇にかけ上つたと認められた申請人を含む五名の生徒に対し、卒業証書授与を保留することとした。その後学校側は右生徒らの父兄らと話し合いを行い、謝罪文を提出すれば卒業証書を授与することとしたところ、右五名のうち申請人を除く四名は卒業式における前記行動の非を認め、反省の色を示し謝罪文を提出したので、学校側は同年三月九日同人らに卒業証書を授与するとともに、この謝罪文を掲載した「卒業式について」と題する文書を全校生徒に配布した。しかし、申請人はなおも反省の態度を示さず、処分不当を訴えるビラを在校生に配布したり、学校長に対し卒業証書保留の理由明示を要求する質問書を提出して謝罪文の提出に応じなかつた。

なお、学校側は、本件採用内定取消後ではあるが、公社の採用内定取消の意向を知つた時点で、学校長が採用内定取消を同年三月末日まで保留されたい旨公社に要請をするとともに、同月二七日申請人に対し、謝罪文の提出がないまま、無条件で一般の卒業生と同じ同月一日に日付を遡らせて、卒業証書を授与した。

二  右事実関係についての法律的評価

被申請人は、公社の事業内容の公共性とそれにふさわしい職員としての社会的評価の点から考えて、申請人が卒業式を暴力的に妨害し、かつ、そのことについて反省の色を見せなかつたことは公社職員として不適当であると主張する。

たしかに申請人の卒業式当日の行動は、仮りに申請人が学校に対する不満や卒業式自体についての不満を抱いていたとしても、同校の生徒、教職員ならびに父兄らの出席する重要な学校行事である卒業式で式典にふさわしくない非常識な手段によつて学校長式辞を妨害し、遂に予定の式次第を中止させるにいたらしめたものであり、しかも申請人は後になつてもこのことについて反省の色を示さなかつたことは、きわめて遺憾なことであつて申請人に非のあることはいうまでもないところである。そこで右のような申請人に対する非の評価が果して公社職員として不適当であるという評価に直接結びつくか否かを検討する。

なるほど公社は、公衆電気通信事業の合理的かつ能率的経営の体制を確立し、公衆電気通信設備の整備拡充をはかり、国民の利便を確保することによつて公共の福祉を増進することを目的とする公共企業体であり公共性の著しく強いものであるところから、その職員に対しては一般私企業の従業員に要求される以上の遵法的態度が要求されるものということができ、もし申請人の卒業式当日のような行動が公社内において起されるならば公社の事業遂行は阻害され、公社の公共性に著しく反する結果になることはいうまでもない。したがつて、公社がその立場上主観的に申請人を公社職員として好ましくない人物と評価したことは理解できないわけのものではない。しかし、解約権を留保しているとはいえ、始期付見習社員契約の成立を認める以上、公社が自己の立場を一方的に強調できないことは当然であつて、解約権行使の場合の公社職員の適格性の判断は、見習社員採用内定決定前に考慮するものより厳格、客観的、慎重になされねばならないものと考えるべきであろう。そして、その際考慮さるべきは見習社員等を対象とした準職員就業規則であり、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる(証拠省略)によれば、同規則五八条一項七号に「職員としての適格を欠くとき」が免職事由と定められているから、これをそのまま適用することはできないとしても、見習社員契約の成立が認められる以上、ほぼそれに準じた客観的事由を必要とすると解するのが相当である。

ところで、前認定の卒業式当日およびその後の申請人の行動は決して好ましいものではなかつたにせよ、自ら卒先して計画的に行動を起したものとは認めがたく、多分に偶発的なものであり、しかも申請人は、演壇上で教師に取り押さえられるや直ちに行動を中止し、教師の指示に従つたものであるから、式典にふさわしくない非常識な行動で、演壇上で多少もみ合いがあつたにせよ意識的に人や物に対して向けられた暴力行為ではなく、また、人の負傷も器物の損壊もなかつたのである。

そしてその後の申請人の行動を見るにたしかにその行動に対しても反省の色を見せず、学校側の指示に従わなかつたことは遺憾とすべきではあるが、この点に関する学校側の指導も、謝罪文を書かせてこれを全校に発表するというものであり、教育的観点から若干疑問なしとしないものであつてみれば、申請人がこれに反発してさらに反省の色をなくしていつたのもあながち申請人のみの責任によるものではないといえよう。

また申請人は当時一八才の高等学校生徒で、卒業式での事件も学校に対する不満に原因する学校内のできごとであるから、これに対する評価や処分も純粋に学校教育の面からなされるべきであり、学校側は学校内の教育問題として扱う方針で、申請人の公社就職についての推せんを取消をしてもいないばかりか、公社の本件採用内定取消の意向を知ると学校長名で右取消を昭和四七年三月末日まで保留されたい旨公社に要請するとともに、申請人に対し同月二七日無条件で卒業証書の日付を他の卒業生と同じ日付に遡らせて卒業を認めたのである。

そして、本件の全疎明資料を検討しても、他に申請人に暴力癖やその他の非行歴を窺わせるものがなく、卒業式問題の一事を除いては将来公社社員としての適格性に疑問を抱かせるものはない。

以上の諸事情を考慮すると、被申請人の申請人に対する採用内定時における労働力の質の評価も、また公社の公共企業体としての社会的評価も、右卒業式問題の一事をもつてしてはいまだ決定的に影響をおよぼしたものということはできず、その他被申請人の解約(採用内定取消)を正当たらしめる事由を窺うことはできないから、結局申請人については採用内定通知書所定の解約事由の存在が認められない。

第三被保全権利の存在

以上検討してきたところによれば、被申請人が申請人を見習社員として採用内定後、申請人に対し公社見習社員として不適当と認めるという理由で採用内定を取り消すことは、解約の事由なくして解約権を行使することになり、解約の要件を欠くが故に無効といわねばならない。

そうすると、申請人、被申請人間に昭和四七年四月一日を効力発生の始期とする公社見習社員契約が成立していることは前認定のとおりであるから、その期日の到来と同時に(たとえ辞令書の交付がなくとも)見習社員契約はその効力を発し、申請人は被申請人の見習社員たる地位を有するが、被申請人が本件採用内定取消により申請人の見習社員たる地位を否認し、その就労を拒絶していることは当事者間に争いがないから、右就労不能は被申請人の責に帰属すべき事由によるものというべく、したがつて、申請人は同月以降賃金請求権を失わず、その額は少なくとも電々公社職員募集案内に記載されている一ヶ月三万七、三〇〇円をくだることはない。

第四保全の必要性について

申請人本人尋問の結果および弁論の全趣旨によると、申請人は高校卒業後公社において稼働して賃金を得ることを予定して生活の設計を立てていたところ、本件採用内定取消の意思表示によつてその計画を覆され生活の手段を失う結果となり、本案判決の確定を待つていては回復し難い損害を蒙ることが明らかであるので、本案確定に至るまで右意思表示の効力を停止し、前記賃金の仮払を命ずる必要があるものと認めることができる。

第五結論

以上のとおりであるから、本案判決の確定に至るまで、公社が申請人に対してなした昭和四七年三月二五日付採用内定取消の意思表示についての効力を仮に停止し、公社に対し同年四月一日以降毎月末日限り一ヶ月金三万七、三〇〇円の割合による金員の仮払を求める申請人の本件申請は理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 志水義文 穴沢成已 佐藤武彦)

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